心理カウンセラー・山崎孝のプロフィール

家族自慢の心理カウンセラー。人生最悪の時も支え続けてくれた妻、音楽に情熱を注ぎ込む姿がまぶしい長男、やさしさと思いやりにあふれる長女、天真爛漫で素直な次女の5人家族。
心身共に疲れ切っていたある日、啓発セミナーに引き込まれるように参加。それをきっかけに心理学・カウンセリングに興味を持ち学び始める。田中正晃先生より600時間のトレーニングを受ける。
1回目の認定試験は不合格。後に聞いた不合格の理由は、エネルギーに満ちた眼差しと気合いが、クライエントにプレッシャーを与えるから。2回目に晴れて合格。
以下、生い立ちから現在までです。
幼少の頃
気が弱くてケンカも弱かったらしい。
父は息子が泣かさることが悔しくてたまらなかったとよく聞かされた。

何度も聞かされたエピソード。
ある日、父はおもちゃの刀を買ってきて、これで仕返ししてこいとけしかけた。持って出かけたところまではよかった。しかし、返り討ちに遭い、刀を取り上げられた。ついに父は、息子が強い男になるのをあきらめた。
その話をよく聞かされたが、当然イヤな体験。
その頃の記憶がほとんどないのは、抑圧してるのでしょう。
小学生の頃
塾へ行かず、家でも勉強せず。それでも成績は常にクラスで3番以内。しかし、それも4年生まで。5年生から塾でバリバリ勉強してる同級生と仲よくなり、授業中は常に彼らと遊んでいた。それから成績は急下降。
当時、スポーツと言えば野球。少年野球チームに入るがレギュラーになれず。運動能力は優れていたと思うけど、競争心がなかった。父はそれも悔しかったみたい。

東京ボンバーズの影響でローラースケートが大流行。これが得意で、たぶん、町内で最もうまいレベル。お山の大将で、結構快適な小学生時代だった。
熱中するとのめり込むタイプだった。父の影響で始めた釣りは中学生時代まで熱中した。大人しかいない釣りクラブに入ったり、テントを持って山に入り、数日間渓流釣りをしたことも。
中学生の頃
友達に誘われ何となくバレー部に入部。2年生の時、元全日本選手が書いた技術書を読んだのをきっかけに急激に伸びた。先輩が引退してレギュラーに。それをきっかけに競争心が芽生える。自分で言うのも何だけど、レシーブ力が優れていた。
3年生の時、豊中市大会で優勝。一応、成功体験。しかし、大阪府レベルでは弱小校。全国を狙う学校にはまったく歯が立たなかった。
ケンカの強さが男の証みたいな風潮があった。幼少のころ弱かったのに強がっていたのは、風潮に流されたのと、父の影響だと思う。かなり無理してた。

美術の成績が最悪。授業態度が悪いわけでもなく、ふざけてやっていたわけでもなかった。それでも、成績はほとんど2、良くて3。後年、Web制作を仕事にした時期があり、今もデザインを学びたい気持ちがとても強い。人ってわからない。
とっても堅物で女嫌いとまで言われてた。実は嫌いなわけではなく、極度に内気だっただけ。本当は女の子と仲良くしたかったんだけど…傷つくことを極度に怖れていたのだと思う。
高校生の頃
中学生のとき、テレビで見たジョン・マッケンローに衝撃を受けてあこがれていた。バレーよりテニスへの興味が強かった。なので、高校ではテニスを、と思っていた。それと、強さへのあこがれも消えず、空手をやりたい気持ちもあった。
他校へ入学するバレー部の同級生が、入学前からバレー部の練習に参加していた。入学式の数日前、たまたま彼らに会い、何をしてるんだと煽られた。感化されて、入学式の後、その足でバレー部へ。
その年の3年生は、大阪府でベスト8まで勝ち進んだ強いチーム。練習を見て、ついていけるのか?と不安になった。
中学と違って、生徒の自主性に任せる部活だった。顧問の先生はほとんど練習に顔を出さない。そのかわり、OBがしょちゅう顔を出す。このOBが厳しかった。
2年生の終わりにもらった通知表に、「クールな男がどんなときに燃えるのか、1年間じっくり見せてもらいました」と書かれてあった。部活のときは別人だったかもしれない。
最上級生になって主将に。ストイックに取り組み輝いていたと思う。しかし、目標に向かってというより、ただがむしゃらにやってた。自分本位でリーダーシップに欠けていた。特に後輩への指導力が不足していた。今でも思い出すと申しわけなく思う失敗体験。
昔も今も性格は短気。ある試合で、感情を爆発させてしまいチームがバラバラになった。それがきっかけで感情を抑えるクセが。クールな男と言われてたけど、無理矢理抑えていただけ。20代から30代にかけて、切れやすく感情のコントロールに欠けていたのは、このとき身につけてしまった抑圧するクセのせいだと思う。
入学時は大阪府1部リーグの強いチーム。私の代は小粒で、2部に降格するのでは?と不安がられていた。しょっちゅうOBが顔を出していたのは不安からでしょう。ところが、春季リーグ戦で優勝。高校時代の成功体験。
女の子に対する内気は少々緩和されたものの根本的には変わらず。卒業間近、ある女の子に告白するも玉砕。みっともない姿をさらして引きずった。
受験では、ある大学に合格するものの、ブランド志向の?自尊心が満たされず浪人。しかし、明確な目標もなく遊びほうける。自尊心が満たされない結果に。もう一年浪人しようと思ったけど、母は認めなかった。母の判断は正しかったと思う。
大学生の頃
クラブにもサークルにも入らず、
マージャンとアルバイトに明け暮れる生活。
まったくの素人マージャンだったが、初心者グループに属さず上級者グループで授業料を払い続ける。意地になって4年間続けると、それなりのレベルになったみたい。
4年生のとき、初級者グループに誘われ卓を囲む。4年経っても彼らのレベルは向上してなかった。所属するグループで差が出るものだと思った。やりたいことがあるなら、できるだけレベルの高い場所でやるべきだと思う。自然とそのレベルまで引き上げてもらえる。
GW、夏休み、冬休みはマージャン仲間と旅行。観光地やスキーに行っても主役はマージャン。正月は旅行先でマージャンを打ちながら迎えていた。
ニセコへスキーに行ったある日の朝、徹夜マージャンして朝方ベッドに入ったら、ペンションのオーナーに、「羊蹄山がこんなにきれいなのは月に2,3日しかない!見に行け!」と叩き出されてしまった。お客をこんな風に叱れるオーナーは素敵だと思う。

4年間続けたアルバイトは、ホテルのラウンジやレストランのボーイ。性に合う仕事だったようで、忙しいときほど生き生きしてると周囲に言われた。仕事には自信があって、社員以上だとうぬぼれていた。単なるうぬぼれだったけど。
他に、プールの監視員など色々なアルバイトをやった。大学の友人との付き合いはまったくないが、アルバイトの友人とは今も付き合いがある。
勉強しないどころか、大学の門をくぐることさえ少なかった。単位が足りず追試を受けて何とか卒業。卒業が決まったのは卒業式の一日前。追試が決まったとき、母に「卒業できなかったら退学して働け」と言われた。大学時代は親不孝しただけかもしれない。
会社員の頃
幸運なことに某大手スポーツ用品メーカーに就職。当時その会社は、ほとんど縁故入社。私も同じ。今じゃ考えられない。仕事で目立った成果はなし。それでも、目をかけてくれる上司がいた。今となっては感謝の一言。
なぜか、いつもカリカリイライラしていた。
高校時代に身につけた抑圧から来るものだったと思う。
この頃、キャンプに凝る。4WDで山の中を徘徊し、適当な場所を見つけてのキャンプが多かった。季節などお構いなしに一年中。地元の人には大迷惑だったかも。今はそんなことしません。
ある真冬のキャンプで数年ぶりの大雪に。朝、目が覚めたら、雪でテントが押しつぶされ、天井が目の前20cm位の所に。一つでも歯車が狂っていたら死んでたかもしれない。
子供ができてからは家族キャンプ。
長男が部活で忙しくなって行けなくなったけど、再開できるチャンスを伺い中。
奥さんとは職場結婚。段取り・時間管理に優れた仕事のできる女性。私よりはるかに優秀なのは確実。妻が退職するとき、慰留したい妻の上司に呼び出され、恨み節をいただいた。「お前にはもったいない」と。まったく同感。

結婚2年後、長男が生まれる。怒りながら育ててしまった。彼を怒っているのではなく、ストレスを彼にぶつけていたと思う。彼の人格形成に大きな悪影響を与えてしまったことを深く後悔。現在、ようやく失ったものを取り戻しかけている、と思いたい。
1回目の転職
会社の業績が厳しくなり早期退職の募集が始まる。当時の仕事がストレスフルだったことに加えて、目をかけてくれていた上司、懇意にしてた上司が早期退職に応募し、気持ちの拠り所がなくなったのをきっかけに転職。
転職先は、カリスマ社長が創業した急成長中のベンチャー。前職とはまったく異なる企業文化に驚く。前職の常識がまったく通じず、常識は一つではないと実感。それ以来、常識という言葉を使わなくなった。
月給○○円という条件で採用されたが、賞与が無いことを入社後に知った。あるものと勝手に思い込み、確認しなかった自分が大マヌケ。常識は通用しない。
事実上の解雇が頻繁にある会社で、社員の回転が非常に早かった。長期間勤める職場と感じられず2年後、再び転職。
2回目の転職
知らない人はいないであろう、世界を舞台に光り輝く企業と、中堅企業の2社から内定をもらう。比較的容易に転職できる幸せな時代だった。実力と思いたいが、新卒入社した会社のネームバリューと、時代に恵まれたおかげだと思う。
前者に行くと中国駐在が確実。迷った末、後者に決める。も
し、前者に決めていたら、と当時は考えることがあった。今では、まったく思わない。どこへ行こうがすべては自分次第だと思う。当時は思えなかったけど。
出社初日に先輩から、前任者は上司の厳しいプレッシャーを浴び続けて、うつ病になり退職したと聞かされる。自分は大丈夫だと笑っていたが2年後、同じことになる。
人格を否定する言葉を何度も浴びせられた。上司に問題がないとは思わないけど、抑圧するクセ、相談できる人間関係を作れなかった、などなど、自分自身に大きな原因があった。
まともに睡眠も取れず、思考能力や身体能力の異常を感じていたある日、お堅い雑誌に掲載されていた「うつ度テスト」をやってみると満点。精神科へ行くとうつ病の診断。
しばらく通院しながら出社していたが、次第に休む日が多くなり、まったく行けなくなった。「うつ病」のレッテルがなければ、もっとがんばっていたかもしれない。単に逃げただけではないか?との気持ちは今も残っている。一方で、あの状態が続けばどうなっていたのだろう?とも思う。
結局復帰できずに退職。会社はとても手厚い処遇をしてくれた。社長はわざわざ時間を作って下さり、ねぎらいの言葉とお見舞い金をいただいた。今でも大変感謝している。
事業の責任だけではなく、雇用の責任と負担を引き受けるすべての経営者に、大きな尊敬の念を持っている。
引きこもりの頃
その後、約2年間の引きこもり生活。何もする気力がわかず、特に最初の1年は、文字通り何もせずぼーっとしていた。
1年が過ぎた頃、ふとパチンコ屋へ行き、それをきっかけに毎日行くように。玉を目で追ってる時だけが、何も考えず心が落ち着く状態だった。そして、借金を作る羽目に。妻に見離されなかったのが、人生で最大の幸福と言える。
ある日、新聞でアフィリエイトの存在を知る。実際に始められたのは、気づかぬうちに回復しつつあったのだと思う。少しずつやってるうちに収入が発生。小さな成功をきっかけに意欲が育ち始め、セミナーなど人が集まるところへ出かけられるように。
ホームページ制作技術が向上するにつれて、ホームページ制作の依頼を受けるようになった。そして、精神科への通院を終了した。

心理学を学び始める
ある時、mixiで興味深い人のページにたどり着く。怪しいと思いながらも強く引きつけられる。その人のセミナーに引き寄せられるよう参加。常に外に答えを求めていたことに気づき、自分の内面を見つめ始める。健全な方向へ向かうきっかけになる。
当時、mixiを通じてありがたい出会いがたくさんあった。今、お付き合いしてる友人、知人は、mixiを通じて知り合った人が多い。
mixiに怪しげな人が多数参加するようになって嫌気が差し、利用をストップした。今はTwitterとFacebook。でも、Facebook使いにくくてよくわからない。
参加したセミナーはNLPを土台にした自己啓発系。興味の対象がネットから心理学へ。勉強を重ねるにつれて自分が内面から変わっていくことを実感。
生徒としてだけではなく、運営スタッフも2年ほどやらせてもらった。とても勉強になった。しかし、心地よい場所にとどまってしまうと、先に進めなくなることも感じた。
カウンセラーに
ただ学ぶだけではなく、カウンセラーになりたい気持ちが強くなってきた。講座にはこだわった。ファーストフード的に資格を得られる講座は避けたかった。そんなとき、田中正晃先生の講座を国の支援で受講する幸運を得る。600時間のトレーニングを受けたのち、カウンセラーの認定を受ける。
田中先生のカウンセリング、心理テストにて、「精神面を重視する傾向が非常に強い」「心を学び続けることが重要」とのコメントをもらう。カウンセラーとしての適正があると思ってる。
カウンセリングは、クライエントはもちろん、カウンセラーの自己成長の場であることを実感し、日々感謝している。











